<第147回>鶴岡鉦次郎さん
(聞き手・編集長 吉清英夫)


経歴:(つるおか・しょうじろう)金工家 1936年生れ。1958年・東京芸術大学彫金部卒業。1960年東京芸術大学鍛金部副手。生活工芸展協会賞他受賞2回。1961年・雑貨デザインコンクール通産大臣賞他受賞2回。1975年クラフト展・‘75賞受賞。1976年〜日本創作七宝展出品。1990年・銀座松屋個展。1994年。金沢、富山個展。1995年銀座個展。1997年・銀座 銀と漆の文具展。2000年・銀座個展・金工この道50年記念展。

金工の道一筋に50年
  遊び心大切にした用の器造り

錺り職の父の仕事を見て育つ

吉清:鶴岡さんにお会いして、芸術家というより職人さんの風貌だ、という印象を受けたのですが、芸術大学の彫金科に入られたきっかけや、そもそもこの道に入られた経いからお聞かせください。
鶴岡:それは父が麻布永坂町で錺り職をしていまして、子どものときからその仕事をみて育ったからかもしれません。私は今年で69歳、父の仕事を手伝った高校時代からを入れれば、かれこれもう50年ほど金工の道を歩いている事になります。
 高校が水道橋の都立工芸高校だったのも、子供の頃から金属をいじっていたからかもしれません。
吉清:工芸学校では大量生産とか、そういう物づくりはではなく手仕事の技術を習ったのですか?
鶴岡:いえ、あの頃の工芸学校と言うと、ならうのは大量生産の技術だったと思います。家業を継ぐために来ているとか。手仕事だけで生きていくのは中々むずかしいですから。ですから、自分の発想で物を作るというのは、工芸学校では中々学べなかったです。例えば、ある見本があってそこに近づけていくと言うような、授業内容だったように記憶しています。
吉清:芸大に学んだことで、鶴岡さんの造形的な発想の幅はさらに広がったわけですか。
鶴岡:はい。技術的な部分は工芸学校で。創造的なものは芸大で学んだと言って良いとおもいます。
吉清:話は変わりますが、プロ野球の、セリーグとパリーグのトロフィーを作っていらっしゃる、というお話をききましたが、いつごろからですか。
鶴岡:僕が、大学を卒業して仕事を始めた年です、ちょうど長島茂雄選手が巨人に入団しまして、これから野球が盛んになるという事で野球のトロフィーのデザインをすることになりました。十年に一度くらい、デザインを変更しながら今もそれは続いています。

<中略>

金属素材は奥深い

吉清:鶴岡さんは漆など他の材料を用いたりはなさらないですか?
鶴岡:私は金属だけで手一杯。素材というのはやたらに材料を変えていけるほど生易しいものでは無いとおもっていますから。特に金属と言うのは、地球の元素ですから。木の場合は、それぞれ木目が違ったりして素材の表情を前面に出す利点もありますが、私の使う金属だとそれがありません。それだけ人間の手に寄るところが大きくなります。
吉清:最後に4月に市川の閑ジュウエリー・ギャラリーで開かれる鶴岡さんたちの展覧会についてですが、4人展だそうですね。
鶴岡:私の素材は金なら金、錫なら錫。それぞれ動かしようが無い素材ですが、それを漆の人と、焼き物の人、ガラスの人という、それをずっとやってる人達と一緒にやることで、それぞれの、素材の特徴、違いの面白さというものが巧くでればと願っています。
吉清:4人の達人たちが、素材をどうやって “料理”するか。コラボレーションのさえですか。今度の4人展はそれだけを見比べてもおもしろそうですね。楽しみにしています。