<第163回>遠山美都男さん
(聞き手・編集長 吉清英夫)


経歴:(とおやま・みつお)史学博士。1957年東京都生まれ(本籍、長野県)81年、学習院大学文学部史学科卒業。86年、学習院大学大学院人文科学研究科史学専攻博士後期課程中退。97年、学位請求論文「古代王権の形成と大化改新」により学習院大学より博士(史学)を授与される。現在、学習院大学、日本大学、立教大学、各非常勤講師。著書に『逆転の日本史【古代史編】』(共著・洋泉社)『【日本書紀】はなにを隠してきたか』(洋泉社)『卑弥呼の正体―ついにそれが明かされた!―』(洋泉社)『天皇と日本の起源―「飛鳥の大王」の謎を解く―』(講談社)『歴代天皇全史―万世一系を彩る君臨の血脈―』(共著・学習研究社)などがある。

 

 

 

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幾内は政権争い・混沌

吉清:
前月このコーナーでは、『真間の手児奈』をテーマにインタビューしました。
  手児奈は759年に、大伴家伴が編んだといわれる最古の歌集『万葉集』の中に登場します。奈良周りまで伝わっていた真間の手児奈の悲話を万葉歌人たちが詠った和歌ですね。実際の出来事はそれより100年ほど昔の話だとか。
  こうした市川の歴史的な出来事をいくつもつないでいくと、町の未来と今が発見できるのではないかとおもっています。
  今日のテーマは、市川でその真間の手児奈の話がおこっている頃、奈良の都あたりがどうなっていたのか。ちょうど海峡のむこうの中国や朝鮮から文化的影響を受けつつ、国家建設の真っ最中だったのではないか。遠山古代史ワールド、まず手児奈あたりからどうでしょうか。
遠山手児奈の時代といっても、真間の手児奈自体が実在の人物であったかどうかわかりませんから、正確な時代を特定するのは中々難しいとおもいます。ただ、奈良時代の初めに当地を訪れた、高橋虫麻呂や山部赤人なりが、伝承に接したという事でしょうから奈良時代にはこのあたりでよく知られていた話だったという事になるでしょう。7世紀には、手児奈の伝説が存在したというのは事実だったと思います。真間の手児奈的な話は各地に幾つか伝わっています。ですから伝承としては、一つのパターン化した形式であるともいえる。
  万葉集には書かれていませんが、明治38年に書かれた『真間山鎮座手児奈略式縁起』という文書の中で、手児奈は7世紀前半の舒明天皇の時代の人で、国 造 という、古代の世襲の地方官の娘だと書かれています。
もちろん、これは明治時代の作者の創作にすぎないのでしょうが、手児奈を、この時代の世襲の地方官の娘と設定したのは中々面白い。というのも、舒明朝というのは、以前は評価が低かった時代なのですが近年になって、大変再評価されている時代なんです。
  古代の国家が完成の域に達したのは7世紀の末から、8世紀の初めであるというのが学界での定説になっています。推古天皇の時代の遣隋使が舒明天皇の時代に帰ってきて、それを元に中国の知識を取り入れて律令法を骨格にした国家体制を作った。そのはじまりが大化改新の時代です。
吉清:それは大和朝廷の成立以後なのですか?
遠山大和朝廷の末裔達が、中国の制度、国家を真似して作ったのが律令国家と言われています。その国家建設をリードしたのが、天智天皇と天武天皇と言われていますが、この二人の実の父親が舒明天皇なんです。
  おそらく、律令国家が出来てから20年程して、『日本書紀』という国の成り立ちをしるした書物が誕生するわけですが、その中で舒明朝というのは近代の始まりという評価が根底にあったのではないかと思います。
吉清:すると、大化改新を準備したのがこの舒明天皇という事になりますか。
遠山そうです。改革の前夜の時代という事で近年再評価されています。舒明天皇、皇極天皇の時代が今研究者の間では注目されている時代ですから、この『真間山鎮座手児奈略式縁起』の作者にはある意味先見の明があったと言えるかもしれません。
吉清:下総・真間地域ではその中央政権との衝突はなかったのですか?
遠山中央と下総地域というより、下総地域の内部での勢力争いが激しかったったようです。というのも、豪族にも階層がありまして、国造というのは、地域の頂点にいた最有力の豪族。その下に無数の中、小豪族がひしめいていたわけです。その中での勢力争い。そういった物のほうが深刻だったようです。この頃かつては強勢を誇っていた国造の力が衰え、中小の豪族が徐々に力を伸ばしてくる。それで国造の地位を下から脅かしていた、という構図ですね。
吉清:手児奈はその衰退する国造の娘だという風に― 。
遠山さっきの文書ではかかれています。こういった状況は、他の地方でも同じように起こっていたようです。そこで国造クラスの豪族が、中央の大和朝廷にバックアップを頼む。むしろそういう形の方が多かった。それが、改革というものを起こす一つのきっかけになったと思います。
吉清:しかし、その中央政権自体もまだ磐石ではなかったわけですね?
遠山はい、ですから中央もヘゲモニーを巡って闘争を繰り返していたのでしょうね。混沌とした時代だったようです。

<中略>

勝者の歴史は疑ってよむ

吉清:最後に、こうした日本国家のなりたちをふまえて日本国とは何か、国のアイディンティティをどう考えていけばよいのか、お聞かせください。市川が市川らしさを求めるように、日本にも日本らしさというものがあると思います。今、日本の総理を目指す安倍晋三さんが言っている、美しい国などという表現もあります。成り立ちの経緯を歴史の中からどう拾い上げるのか、という事が重要なのではないかと思いますが。
遠山歴史は勝者が作るものだと言われます。歴史を勉強していると、それを実感することが多々あり、歴史書などは頭から疑ってかかることが習慣になっているような所があります(笑)。ですから、おっしゃったような日本らしさという物も曖昧なもの、作られたものなんじゃないかという疑念が拭い去れない。だから、安倍さんが言う様な、日本の在るべき姿というものも、所詮ある時代の誰かが作ったものを追認しているにすぎないのじゃないかと思うわけです。
ですから、その質問の答えは中々難しい。日本人らしさというのは、時代によって移り変わっていくものではないかと思います。
吉清:逆に、歴史の中にはまだまだ資料からは窺い知れない側面が隠れているかもしれないという事ですね。
遠山はい。ですから、そういう部分を考えながら歴史を考察していくのは非常に楽しいと思います。学校などでは受験という縛りがありますからこういう部分はバッサリと切り捨てられてしまうのが残念。様々な角度から史料や史実を検証していけば、歴史の勉強はもっと楽しくなるんじゃないかと。
吉清:自分も日本の歴史の当事者感覚で、学ぶならもっと気分が高揚しそうですね。自分の父や母の出自や家系史を知っていたら、もっと時代や人物にたいする親近感も湧いて来る。そういう授業なら歴史がおもしろくなる。
吉清:今まで定説だった事件、人物に新しい事実を発見する。それが歴史の面白さだと思います。
遠山それは地域という、市川という小さな町のありようにもいえるんですね。たとえば、『真間の手児奈』をいろんな角度から調べ、楽しむことだって市川というまちのアイディンティティを探すことでもあるんです。
  (市川グランドホテルにて収録)
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