<第208回>

手児奈太鼓「創設15年」を聞く 

番場ゑみさんと 岡野千恵子さん
(聞き手・編集長 吉清英夫)

番場 ゑみさん 手児奈太鼓代表
岡野千恵子さん 手児奈太鼓メンバー

番場ゑみさんプロフィール
1949年1月市川市新田生まれ
1992年落O元舎設立(カルチャー スクール・イベントプロデュース業)
1995年4月手児奈太鼓発足


吉清 女性だけの太鼓集団をプロデュースして15年、 先日は市川市の姉妹都市ドイツ・バイエルンのローゼンハイム市で公演するなど、 活躍の場が広がってきましたね。 番場さん、 その結成はどんな経緯でしたか。
番場 手児奈太鼓は平成6年に真間山の手児奈祭りが始まった翌年の4月に発足しました。
吉清 あの時、 手児奈女神輿とかと一緒に始まったんでしたね。 手児奈祭りは女神輿、 女太鼓が対になって以来今日までずっとお祭りをにぎわしてきた。
番場 練習をかさねて10月の手児奈祭りにはデビューしました。
吉清 超過密スケジュールのデビューだったんですね。
番場 みんな凄い集中して練習に次ぐ練習でした。 少し遅れて、 稽古場にお借りした
弘法寺の階段を上がっていくと太鼓の音が響いてきました。 ぴったりと音が合うと、 私も鳥肌が立つ程でしたよ。

吉清 今、 手児奈太鼓の練習を指導しているヒダノ修一さんは、 著名な太鼓奏者。

番場 はい。 手児奈太鼓が発足した時、 当時まだ20代だったヒダノさんにお願いすることを考えていたんです。 それを当時真間山弘法寺の山主でした、 酒井日慈さんに話したら、 酒井さんもヒダノさんの演奏を聞いていて 「俺も彼に指導して貰う事は考えていた」 と言ってくれて。
吉清 なるほど、 酒井さんは、 池上本門寺にうつられてからもずっと励ましてくれたと聞いています。 酒井さんと、 そういうやりとりがあったのですね。
番場 また折りよく、 文化庁で文化、 芸術活動を支援する 「芸術文化振興基金」 が設立された時期で、 平成13年に文化庁に予算の申請をしたら、 1000万円の助成を得て、 太鼓を揃えることができました。 それまでは、 古タイヤを叩いたりしていました。
最初から、 4、50人の生徒さんが集まって、 生徒がふえていきました。 酒井山主さんが、 万事支援してくださって祖師堂を貸していただいて。 それから酒井さんは 「今どきの子供達は、 子供らしい遊びや集団での学びをしていない、 家に帰っても親が居ない事もある。 そういう子達に太鼓をやらせてみてはどうだろう。 子供達の太鼓は俺がそろえるから」 ということで、 太鼓の塾もはじまりました。
吉清 先ほど市川小学校での、 練習を見せてもらいましたが凄い迫力。 練習ではそういう音の配慮にかなり気をつかいますか。
番場 苦情が来てもおかしくない程の音量だと思いますが、 市川小学校近辺の皆さまには常々感謝しています。
吉清 練習時間は、 どのくらいなんですか?
番場 土・日の1時から5時までです。 太鼓をやる人って暇な人が居ないんですよ、 仕事で忙しい人が何故か多いんです。 太鼓を続ける体力や、 精神面での強さもあるのでしょうし、 またストレスを発散させるという面もあると思いますね。
吉清 実際に、 先ほどまで太鼓を打っていた岡野千恵子さんはどうですか?
岡野 太鼓には、 音楽の要素とスポーツの要素二つがあります。 人に見せるものですから、 いかに綺麗に手を振り上げるか、 などにも気をつかいます。 そういう人に見せる緊張感って、 私の普段の生活の中では起こらないものですから。
吉清 手児奈太鼓が発足してから、 今年で15年になりますね。
番場 はい、 それで6月に記念の公演をする予定だったんですが、 今回のドイツローゼンハイムでの公演が入ったので、 15周年記念は来年1月に繰り延ばしました。
吉清 今回のドイツ公演を成功させたことで凄く得るものがあったんじゃないですか?
番場 海外で公演する事には大きな意味があったと思います。 若い世代にもどんどん、 継承していかなければならない物も多いですからね。
吉清 確かに。 岡野さんの場合は、 手児奈太鼓を始めてどのくらいになるんですか?
岡野 8年です。 その間に子供も二人生まれて。
番場 彼女は、 お腹が大きくなっても太鼓を叩きに来ていましたよ。
岡野 胎教にいいということで。 赤ちゃんを練習に連れてきた事もありましたが、 太鼓の音のなかでもグッスリ眠っていました。
二人とも太鼓は好きです、 ずっと聞かせていたからその影響でしょうね。
吉清 そんな環境で育った子、 将来が楽しみですね (笑)。 ところで今度のドイツ・ローゼンハイムでの公演はどうでしたか?5月20日の出発でしたね。
番場 メンバー6人 (他2名) が20日の11時に成田から発ち、 夕方頃に到着しました。 参加した 「ローゼンハイム・ガーデンショー」 自体は年間を通じて行われており、 5月は日本をメインにした 「市川デイ」 でしたから、 太鼓だけでなく、 書道や華道、 茶道などたくさん展示されていました。 我々は野外ステージで手児奈太鼓の公演をおこないました。 最低10人必要な曲を、 6人でやりとげなければならなかったり。
吉清 太鼓を向こうに運ぶのも、 大変だったのではないですか?
番場 太鼓は、 フランクフルトの 「桜の木太鼓」 という女性のグループにお借りすることができました。
吉清 初めてのローゼンハイムはどんな印象ですか?
岡野 ローゼンハイムはバイエルン州にある小さな町でした。 当時バイエルン王だったルートヴィヒ2世が、 フランスヴェルサイユ宮殿を摸して作ったヘレンキームゼー城などもあります。 夜9時くらいまで、 空が明るく、 朝3時には日が昇ります。 お店などは6時にしまってしまいます。
ずっと雨続きだったそうなのですが、 演奏した22、 23日の2日間はスカッと青空が広がってくれました。
番場 1日に2回公演で、 できるだけ参加型にし、 ローゼンハイムの人にも手児奈太鼓を体験してもらいました。 そうしたら、 その時参加してくれた方が口コミで広めてくれて。 全部で4公演したのですが、 4回とも来てくれた方もいましたね。
慌しい日程ではありましたが、 私たちの15年という節目の時期にこういう公演ができたのは、 とても有意義でした。
また、 平成23年1月16日 (日曜日) 市川市文化会館小ホールにおいて、 ドイツ公演の報告を含め、 手児奈太鼓を応援してくださっている皆さまに、 15年間の歩みと、 これから20年100年と続いていくであろう意気込みを披露させていただきたいと思っています。 是非お越しくださいね。
吉清 手児奈太鼓を指導する事になったきっかけはなんだったんですか?
ヒダノ 番場さんが、 僕のコンサートにきてくれたことが始まりでしたね。 お寺主宰で太鼓のグループを作りたいということで。
酒井日慈さんが、 太鼓が好きでしたから。 酒井さんが、 本門寺に行かれてから作った太鼓のグループにもかかわりました。
吉清 手児奈太鼓を指導し始めてから、 どのくらいの生徒さんに教えたことになりますか?
ヒダノ 延べ数百人になると思います。
吉清 皆さん、 最初はまったくの初心者だったんでしょうか。 そうすると、 なかなか習熟するのは大変そうですが。
ヒダノ いえ、 他でやっていた人もいますし。 初心者であってもメキメキと上達する人も居ます。
吉清 ヒダノさんは、 太鼓のレッスンと奏者を同時にこなしているわけですか?
ヒダノ 僕は本業が太鼓奏者なので、 レッスンのプロではありません。 しかし自分の経験からアドバイスすることもできるので、 ある意味理論的ではないけれど、 感覚的な部分を教える事ができます。 芸能人などにも教える事がありますが、 各人に合わせて、 柔軟に教え方を変える事ができるのは強みだと思います。
海外を含め、 合計で2000人程の生徒さんを教えていますが、 日本の文化に対しては向こうの人たちの方が勉強熱心だったりします。 というのも、 楽器を演奏する上で、 その楽器が作り出され育まれて来た風土文化を理解した上で演奏しようとするから。 それは、 現在の日本の奏者にかけているものだと思うので、 それをやったらもっと音に深みがでるとおもいます。
吉清 酒井日慈さんも、 ヒダノさんの教え方をほめておられました。 ところでつかぬことですが太鼓に楽譜はあるんですか?
ヒダノ はい、 普通の五線譜をつかっています。 太鼓は 「ドーン」 という単音しかないモノトーンの世界です。 しかし、 その人がどういう人生を生きてきたか、 どういう人間なのかが、 その 「ドーン」 の中に結構込められてしまうんです。 シンプルだから難しいですが、 それぞれの人間模様が音に出て面白いですよ。
太鼓は、 プロの女性奏者は非常に多いんです。 今、 女性はすごくタフになっていて女性らしさと同時に力強さも感じます。
ですから、 彼女たちが、 自分なりの音を作り出して、 100年後伝統芸能になってくれればすばらしいな、 とおもっています。

文・写真 TARO