綾 11月

 辛淑玉(しん・すご)さんの朝日新聞からの記事を読んで・・・
前回の選挙の時「改革には痛みが伴う。改革を止めるな」と小泉首相は、となえていた・・・辛淑玉さんは子供の頃からお金になることなら何でもやった、と、書いている。新聞配達、乳飲料配達、深夜の皿洗い、ウェートレス、下着や水着のモデル。特にオフィスのゴミ拾いは辛かったという。巨大なカゴを引いて部屋から部屋へ素手でゴミ拾い。吸殻や食べカスをかき集める。貧しい日本人は昔話になった。「改革を止めるな」と、豪語する小泉首相。一方ではホリエモンや富を一手に集める者が現われ他方には何も手にできないものが生まれるのは当然の結果だ。少子化や、パラサイトの問題のはいごにも貧困の影が見える。子供を持てば行き詰るから、生まず、親元を出たら食えないから、パラサイトする。貧困に対する具体的なイメージを持たない日本人が、小泉首相マジックにかかり酔い、政権を支持している。ナチスが「民族の浄化」という、とても美しいフレーズを唱えたとき、それがついには強制収容所のガス室まで行き着くことを、ゲーテやヘーゲルを生んだドイツ人が想像できなかったのに似ている。だから、だからこそ私は言いたい「貧しさを想えそれを恐れよ」と。
 ここまでは、大体、辛淑玉さんの意見である。それについて私も、「うーむ」と頷くのである。「改革を止めるな」とても勇ましいことばに聞こえる。過去の戦争での「民族の浄化」・・・とらえ方を、うんと日常的にしてしまうと「浄化」という言葉には、美しさも伴う。
 大体、お金の手触りがわからなくなっている一般市民の麻痺。「日本は平和で、金持ちだ」という魔法のような悪夢のような錯覚。今、現実問題として意識している人はいない。多分、お年寄りから若い人までありえない事はありえない、と目をそらしている。たった一万円にも満たないお金のために人殺しをしてしまう。赤ちゃんのミルク代にも困る人はいるだろう。年老いた親の年金を食いつぶす者。働く人、働かない人、その動機のない者。いつか、(もう今も)貧富の差で、うすら笑いを浮かべて他人事のように差別していく。
 今はまだ、目をつぶっている人たちが私は恐い。辛淑玉さんのような、貧しさを私は想像できない、「貧しさを想えそして恐れよ」と辛淑玉さんのことばは強い。私自身については「真のまずしさ、心も体も貧しいという未来を怖れなくてはならないのだ」と、心して生きていこうと常に思っていかなければならない。私は、プロレタリアートでありたい。

栗原 11月

 寒さが増してきました。布団から出るのがつらい季節ですね。
 最近自分にとって大きな出来事がありました。他の方が聞いたら、「何だそれだけか…」と思うかもしれませんが。
 動物の話です。
 私は犬猫といっしょに暮らしたことがないから、持ち主のいない猫でも、今までなんとなく触れませんでした。周りの子が「病気持ってそう!!」などと言いつつも、ガシガシと触って生き物とともに喜び合っているのを見るにつけ、何かうらやましいという気持ちで見ていました。あと、自分は本当はすごく冷たい人間なんじゃないかなあ、という気持ちになることもありました。慣れない赤ちゃんを前にして、どうふるまったらいいのかわからない時の、あの気持ちです。
 でも先日、中山のお寺で猫にさわったんです。友達にさそわれて。恐る恐る。猫ははじめ、何だよ…というような迷惑そうなポーズをとっていたものの、首のあたりに触れると次第にリラックスしてきて、最後には完全に心を許しているかのように見えました。
 とても柔らかかったし暖かかった。
 あのときの感触を思い出すだけで、腰が抜けそうになるんです。

編集長 11月

 某日、29日から始まった、サロンド・グランパ主催の「高橋まゆみ創作人形展」を見に来た相田一人さんとばったり会う。ご出身の足利の話題などひとしきり交わす。人形展は伊藤良男社長の企画によるものだが連日、千客万来のにぎわいで、めでたし。

 11月はじめ。4日市川文化財団の20周年事業。N響と市川の西野薫(オペラ)木村珠美(オペラ)川本嘉子(ヴィオラ)さんのジョイント公演。聴きごたえ、たんのう。5日、12月号の崔岩光さんインタビュー。こまつ座のthe座 [連鎖街のひとびと] の写真特集・大連に、崔さんふるさとを想い感激。引きつづき、贈賞式とパーティーに。今年の市民文化賞受賞の中山忠彦(洋画家)スウェーデン賞松澤茂雄(洋画家)ユネスコ賞崔岩光(オペラ歌手)奨励賞神田福丸(邦楽)奨励賞可児融(和菓子匠)特別賞多賀新(銅版画家)さん。一年ぶりに昨年の受賞者医師の秋山洋さんらとも、お目にかかった。

 某日、来年用の真新しい手帳を購入する。何十回も経験してきたことだが、ここに新しい夢を自由に書きこめるぜいたくは新鮮で格別だ。よい年でありますようにと願う。11月、12月のとくに土、日の行事でいっぱいの旧手帳をながめつつ、気分は新しい年。

綾 10月

毎日、生きていられることの幸せ。みんな色々な悩みもあって、「死んじゃおうか」なんて思う人も、たくさんいるのでしょう。人間関係だったり、お金の問題で深刻になってしまったり……。けれど死んでしまう前に、まず「逃げようよ」と私は云いたいです。ほんの少し逃げてしまうことも、勇気のある選択だと、このごろ思うのです。そうしたら、自分のうずまきの中ではとても大きな事が遠くから見ると、ほんとうにはたいした事ではなく見えてきます。距離を置いて、ほんの少し、離れてしまえば、一週間前には、生死の大問題に思えた問題がちいさくちいさく見えてくるから。
ほんのささいな、笑ってしまうようなことが、人生を作る細胞だと感じられるはずなのです。丁寧に日々を受け入れることのできるコンディションでいるコトは難しいけれど、毎日まったく片付かない心の中で、ふっと、立ち止まれる秋の雨の中で、自分を笑ってしまうのが一番です。年末に向かって。いい事も悪い事もいちいちくらべることでもないから、他人と同調してしまうクセをそろそろ無くしていかなくては、人間で生きていてもつまらないものですね。半分目をつぶってこわいものやイヤなものも、少し忘れて。小さな幸せの細胞を、忘れないように慎重に、暮していこうと思うのです。

自分では、どうすることもできないストレスの中にいると、常にそのことを意識してしまい生きることに耐えられないので、「考えないようにする」。自分は不幸ではなく、こういう理由で幸せだと自分に言いきかせて知らず知らず自分を誤魔化してしまう。大なり小なりそういうことは誰にもあると思うけれどあんまり長期間自分をだまし続けると、どんなに前向きな明るい活発な人でも、だんだん変に不思議な居心地の悪い人に変っていく。常に正直に素直がいちばん。わからない事に知ったかぶりをしないで、歪んだ人にならないで、ちょっと変だけど、イヤな感じの人にならないようにしたい。人が作り出したものは、すべて、「欲」が形を変えたもの。もう少し頭がよくなったら、必要なものと、必要でないものを、きっちり分けていこう。またいつもの病気が出た文章になってしまいました。みなさん、お元気で、寒さに負けず!
「約束」というのは、いやなものです。こちらから誘って「今からおいでよ」なんて言ってみる。しかし、いざ来るとなると、怖ろしくなる。ずいぶん後悔してしまう。いっそなら、突然会ったほうがいいし、通りすがりに偶然会って立ち話をして、又、「バイバイ」なんて右と左に手を振って別れたほうがいい。
「今度、ごはん食べに行きましょうね」と日時を合わせて「約束」してしまったら、その日が来る前に眠れなくなったり、動悸がしたり、体調まで悪くなってしまう。どんな親しい人でも、「約束」は苦手です。だから、友達ができない。自意識過剰ともいえる。家族とさえうまく話せないのに。だから一人がとても好きです。

栗原 10月

お料理の話をします。
30歳にもなって誠に恥ずかしいのですが、揚げ物をつくることができませんでした。
小さいときから「油は危険」ということを教え込まれて来ると、そのイメージを払拭する機会をなかなか得られず、「ししとうを素揚げすると、爆発する!」「えびの下ごしらえをきちんとしなければ、はねる!」などと噂に聞くたび、怖ろしい気持ちばかりが募りました。
でも、天ぷらを食べるためにわざわざ外食したり、カツ丼を作るためにわざわざロースカツを買ってきたりという出費を考えると…いかにも不経済だ、ということで、一念発起することになったのです。
そこで入手したのが温度計付の箸。油の温度が一目瞭然なので、初心者の私でも火加減さえ注意していれば、適正温度で調理することができます。これで恐る恐る低温で揚げたコロッケの中身が溶け出して空っぽ…などというリスクもありません。
よく慣れた調理人さんは、おたまで掬った油の粘度で温度を見極められるそうですが、私にはまだまだ。初心を忘れることなく、安全第一で精進していきたいと思います。

編集長 10月

某日 千葉商大・講堂でおこなわれた市川JC(青年会議所)の40周年式典出席。関東地区から多くの仲間がお祝いにかけつけて、盛大。内浦浄信理事長のスピーチに、地域に根づいた活動40年の自信を、関係者の一人としてうれしく聞いた。夜は、真間山上から善竹師の狂言と十六夜のまんまるの月宴。
某日 元教育長・山口重直さん84歳で逝く。同郷・勝浦出身の山口さんにはいろいろご指導いただいた。台風の余波の中、通夜に。
某日 インタビューに出ていただいた経済評論家にして森鴎外研究家の吉野俊彦さん、肺炎で死去。90歳。「私の人生は森鴎外研究、日銀(理事)時代は、仕事上料亭に招かれることがあったりすると、一刻もはやく帰って鴎外の研究に時間をつかいたかった」と、子供のように笑っていた。合掌。
某日 おいしいトリュフや洋菓子一筋に35年のドルチア・木村修さんをインタビュー。「チャーリーとチョコレート工場の秘密」がおもしろそうだと、家内のヒントを得てさっそく丸の内の映画館へ。木村さんにその話をすると、「そう。むかしからチョコレートのレシピは秘密」だったと。インタビュー記事は、月刊いちかわ11月号をごらんください。せっかくなので、ヒット中の「シンデレラマン」を観て、僕のハンカチはグッショリです。
某日 中津攸子さん主宰の「新樹」15周年に出席。“心身健康な明るいくらし”を誌是に発刊された寄稿雑誌で、この日は創刊からずっと応援してきた千葉光行市長をはじめ、市川の各界名士百名余が出席して祝福した。秋山朗子編集長ら活動にたずさわってきたスタッフのご苦労に敬意。市川市は昨年WHOの健康都市を宣言したが、15年前その精神を魁たともいえる本誌の功績は光る。一人一人、心と身体が健やかで、健全な社会の道しるべとなることを。そのためまちがっても、日本が、これからも戦争への道をたどらない国でありますように。

綾 9月

「編集室のつぶやき」に初参加の井上綾です。みなさん、元気ですか!時代の流れは残念ながら次々変化していきます。でもナーバスになることを止めて、今、出来る事を後悔しないように、集中して生きていきましょう。「取り返しのつかない事は無い」と、人はよく言いますが「取り返しのつかない事は沢山、ある!」と私は思うのです。ほんの少しのすれ違いや、たった一言の挨拶で穴ボコに突然、落っこちるかもしれない・・・時間は、もどらないからです。普通にしていても無理して頑張っているように見える人が近くに居ると、怖いです。夏は、そんな気持ちになる不安な季節でした。どんどん物事が変わっていく。新しい場所で思ったよりも車の音が、うるさかったり、夜中の秋風の中で人の声がやけに高くはっきり聞こえたり、そんなふうに慣れていくことで季節の移り変わりを感じられます。誰かを待ったり勝手に愛したり・・・「同じ不安の中で同じ生活をしていると人は必ず、おかしくなってしまう」
何かキラキラしたものが通って行った後の良い気分を味わいながら働いて、暮らしていきたい。
このエピックにも、そんなキラキラが時々あるのですよ、時々、だけれども。

人生の艱難辛苦を逃れる道はふたつ。本と動物だ。正直言って人間より犬や猫の方が好き。人と居ると、わざとではないにしろ誤解を招いたりして疲れてしまう。人と2時間話すとくたくたになります。いつか万が一、私がお金持ちになったら、世界中の苦しんでいる猫や犬を助けてあげたい。そして自分だけの猫と暮らすのです。「お一人猫(犬)様用」に、バスや電車に乗ったり、気取ったレストランで会話しながらディナーを食べたり「うん美味しいわね」なんて。そんな日本に早くならないかなぁと、いつも私は思っているのでした。

栗原 9月

編集室へ来るときは自宅近くの源心寺から京成バスに乗り、江戸川を越え、停留所からJR本八幡駅を横断して京成線に乗り換えます。市川真間駅まで、小一時間の移動。お天気のいい日は小旅行の気分です。
しかし帰り道には謎のジンクスが。京成バスで江戸川を越えたあとから急激な眠気に襲われ、意識の糸がふつりと切れるように入眠してしまうのです。気がつくのはいつも源心寺から停留所を二つも過ぎた地点。ときには雨の中を走って帰宅することになるのですが・・・
走行のリズムでしょうか。カーブの具合でしょうか。
そして眠ってしまうのは私だけでしょうか??
目が覚めていつも同じ医院の看板を目にするとき、「またやってしまった・・・」という、悔悟の念に襲われます。

太郎 9月

編集室のPCのモニターは、古き良き米ゲートウェイ製。驚嘆すべきタフさで、使い始めて今年6年目を迎える。6年、6年である。昨今のモニターの寿命は2〜3年と言われているから(某社の製品に至っては○○○○タイマーが仕込まれていて一年で壊れると言われている)これは正に脅威だと言える。低価格化、買い替えサイクル高速、ハードウェアの驚異的な進化の早さ。最早パソコンは消費型の製品になりつつある。1年経てば旧型、2年で骨董品、3年経てば化石である。
そんな今、どっしりとした事務所に腰を据える時代遅れCRTモニターは、気の良い南部男のように見え、なにやらえも云われずに落ちつく。先日、日本に戻ってきたゲートウェイ。古き良きかつての面影は既に無い。

編集長 7月

さて、これから。日記風にしたててはいますが、これは某日某々日の取材ノートから、僕のアリバイ、というかひと交遊メモをぬきだしたものになりそうです。
『宗左近詩集成』(北溟社)が刊行され『海の会』主催によるお祝いの会が市川グランドホテルで開かれた。この月全国津々浦々から詩、俳句、短歌、画家、書家、文学者、ら130名がお祝いにかけつけ、宗さんとよろこびを分かちあった。詩人那珈太郎、元文部大臣で俳人の有馬朗人、美術批評家の栗津則雄さんら多くの親しい友人がつぎつぎとお祝いのスピーチに立って、にぎやかな会となった。
 宗さんは、1959年に第一詩集『黒眼鏡』を発行してから『河童』『炎える母』『縄文』『宇宙』近刊『不知火』まで詩集45冊、アンソロジー4冊、縄文芸術、美術、俳句など39冊をこえます。その他『表微の帝国(ロラン・バルト)』『オリエント急考殺人事件(アガサ・クリスティー)』などの翻訳30冊以上、作曲家・三善晃さんと取組んだ校歌も数多くつくりました。
84歳にして創作の力を失わない宗さんを「謎です」と評したスピーカーもいました。大仕事を終えてひと休みかと思いきや、お祝いのスピーチで、「いえいえ、今は自身の詩の英訳本に取り組んでいます」
『宗左近詩集成』は780ページを超えるものですが、これからはどんな作品が出来上がりますやら。僕にとっては宗さんという人は、ますます謎の人なんです。

7月某日、街中で宗香さんと偶然会ったら「ちょうどよかった」と昼食にさそわれる。あとからやってきた、が左近先生と合流してゴチに。おいしい「天丼」でした。僕は滋養補給。ラッキーな日。

7月某日、銀座6丁目の老舗画廊「イケダヤ」で開いていた小杉荘八・まり子夫妻の三人展の最終日。作品撤収を手伝う。なんでもこの小杉展が江戸時代から五代つづいた、「イケダヤ」さんの記念すべき閉廊企画だったと、小杉さんも柄になく感慨深げ。月は東、日は西に。小杉の車を送ってから、僕は久しぶりに有楽町のガード下のやきとり屋へ。

7月某日 旧知の高橋功さんから「解説―陸軍国府台部隊」をまとめているので、見てほしいと電話。国府台は今でこそ学園地域になっているが、明治、大正、昭和の終戦区まで、陸軍部隊が駐屯した。どんな部隊が国府台にあったのか。そしていつ、どんな作戦に参戦しているのか。明治時代、日本陸軍の下士官を養成する教育団が設置され、昭和になるとノモンハンや、2・26事件に関係する。また、市川憲兵分隊の存在でも知られる。このため市川の町は陸軍中心の町として、産業、花柳界がにぎわいをみせた。
 高橋さんは、その詳細な記録を国会図書館や防衛研究所などに足をはこび300頁余りにまとめた。「調査半ば」としながらも、旧軍の歴史を避けてきた世間の風潮をのりこえて、堂々たる調査資料にうらうちされた、堂々たる研究書の趣きが感じられる。空白となっていた明治から昭和にかけた文化、歴史をうめる調査研究であり、完成を目指す高橋さんに注目していきたい。

編集室日記
コラムニスト山本夏彦さんの室内編しゆう室は、かつて冷暖房無しと、ご本人が書いておられた。当事務室もおんなじで、季節が秋に向かう頃ようやくいりよくがでてくるシロモノ。と、言うわけで真夏のいまウンウン言いながら、このにつきに取り組んでいます。

編集長

さて、これから。日記風にしたててはいますが、これは某日某々日の取材ノートから、僕のアリバイ、というかひと交遊メモをぬきだしたものになりそうです。
『宗左近詩集成』(北溟社)が刊行され『海の会』主催によるお祝いの会が市川グランドホテルで開かれた。この月全国津々浦々から詩、俳句、短歌、画家、書家、文学者、ら130名がお祝いにかけつけ、宗さんとよろこびを分かちあった。詩人那珈太郎、元文部大臣で俳人の有馬朗人、美術批評家の栗津則雄さんら多くの親しい友人がつぎつぎとお祝いのスピーチに立って、にぎやかな会となった。
 宗さんは、1959年に第一詩集『黒眼鏡』を発行してから『河童』『炎える母』『縄文』『宇宙』近刊『不知火』まで詩集45冊、アンソロジー4冊、縄文芸術、美術、俳句など39冊をこえます。その他『表微の帝国(ロラン・バルト)』『オリエント急考殺人事件(アガサ・クリスティー)』などの翻訳30冊以上、作曲家・三善晃さんと取組んだ校歌も数多くつくりました。
84歳にして創作の力を失わない宗さんを「謎です」と評したスピーカーもいました。大仕事を終えてひと休みかと思いきや、お祝いのスピーチで、「いえいえ、今は自身の詩の英訳本に取り組んでいます」
『宗左近詩集成』は780ページを超えるものですが、これからはどんな作品が出来上がりますやら。僕にとっては宗さんという人は、ますます謎の人なんです。

7月某日、街中で宗香さんと偶然会ったら「ちょうどよかった」と昼食にさそわれる。あとからやってきた、が左近先生と合流してゴチに。おいしい「天丼」でした。僕は滋養補給。ラッキーな日。

7月某日、銀座6丁目の老舗画廊「イケダヤ」で開いていた小杉荘八・まり子夫妻の三人展の最終日。作品撤収を手伝う。なんでもこの小杉展が江戸時代から五代つづいた、「イケダヤ」さんの記念すべき開廊企画だったと、小杉さんも柄になく感慨深げ。月は東、日は西に。小杉の車を送ってから、僕は久しぶりに有楽町のガード下のやきとり屋へ。

7月某日 旧知の高橋功さんから「解説―陸軍国府台部隊」をまとめているので、見てほしいと電話。国府台は今でこそ学園地域になっているが、明治、大正、昭和の終戦区まで、陸軍部隊が駐屯した。どんな部隊が国府台にあったのか。そしていつ、どんな作戦に参戦しているのか。明治時代、日本陸軍の下士官を養成する教育団が設置され、昭和になるとノモンハンや、2・26事件に関係する。また、市川憲兵分隊の存在でも知られる。このため市川の町は陸軍中心の町として、産業、花柳界がにぎわいをみせた。
 高橋さんは、その詳細な記録を国会図書館や防衛研究所などに足をはこび300頁余りにまとめた。「調査半ば」としながらも、旧軍の歴史を避けてきた世間の風潮をのりこえて、堂々たる調査資料にうらうちされた、堂々たる研究書の趣きが感じられる。空白となっていた明治から昭和にかけた文化、歴史をうめる調査研究であり、完成を目指す高橋さんに注目していきたい。

編集室日記
コラムニスト山本夏彦さんの室内編しゆう室は、かつて冷暖房無しと、ご本人が書いておられた。当事務室もおんなじで、季節が秋に向かう頃ようやくいりよくがでてくるシロモノ。と、言うわけで真夏のいまウンウン言いながら、このにつきに取り組んでいます。